最近読んだ哲学系の本で「国家などは妄想だ」「自分がそこに属しているというのも思い込みだ」「その思い込みがなくなれば、国家間の戦争など起こるはずもない」という考えが書いてあった。そういえば友人でも似たようなことを言っている人もいた。その著者も友人も物事を深く考える事が好きな人たちだ。
どうだろうか?ある面からはそういえなくもないだろうが、別にそれだけでもない…と思う。
簡単なモデルで考えてみる。
a.物質的事象
b.心理的事象(aの原因)
c.心理的事象の原因(bの原因)
d.cの原因
e.dの…
…∞の原因の原因
aに近づくほどに表面的・具体的、b,c,d…と進むほどにより本質的・抽象的な世界になる。aだけが目に見える世界。b以降は目に見えない世界となる。
aは物質的かつ具体の世界だ。「皆が銃を捨てれば、戦争は終わりだ」。
bでは「なぜ、皆(私)は銃を捨てないのだろうか?」が問われる。感情や考えの世界だ。親の仇を取るためか?国や集団の利益のためか?「神」との約束のためか?正義のためか?
cはbのさらに原因が問われる。なぜ皆(私)は親の仇を取りたいと考えるのか?なぜ「神」との約束を果たしたいと考えるのか?
dでは、さらにその原因、efg…問いは究極的には∞に続く。原因は∞に至る。自分(たち)自身でも分からない理由の理由、原因の原因がある事に気付くだろう。
さて、モデルで明らかなように、「銃を捨てれば」「思い込みをなくせば」戦争はなくなるかもしれない。けれど、なぜ銃を捨てないのか?なぜ思い込みがなくならないのか…?結局のところ、賢明な人が思考を進めていくのであれば「自分は何も分かっていない」事が分かるだけだ。事実、著者はそれに気づいていくのだった。
一方、大本信徒はもちろん、多くの宗教では∞の原因の原因…すなわち「神(仏)」への祈りからスタートする。
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