田族島(たからじま)着陸

 真剣な神さまへのお祈り、ご神書の拝読、鎮魂を行った後に後悔を感じたことはない。必ず何かしらの感動、充足感、気付き等々…特別な体験になる。

 言葉に現すことができるものも、できないものもある。このブログは、私自身の救われつつある体験を記すものなので、できる限りで言語化してみたい。

○昨日の体験

 さて、昨日の夕拝後の拝読でも、特別な体験があった。不意に夢をみたり、そこでの体験を思い出したりする、懐かしく心地よい世界がある(皆さんにはないだろうか?)。その世界をまた思い出し、感じることができたのだ。

 その世界を言葉で表現するのは難しい。「常住不断に祭りが本質的になされ続けている世界」「静けさと賑やかさ、節度と自由が自然に共存している世界」などとも言えなくはない気もするが…

 …ともかく、何かを思い出し、感じたのだ。なぜ感じたのかは分からない。ただ、キッカケは下の2つの作中の歌だったように思う。

 「久方の月照る夜半の海原は いと賑はしくかがやきにけり」(起立比古の神)

 「大空の星も降りて水底に 光りかがやき給ふ海原」(朝香比女の神)

 「特別な体験」は新たな体験を、新たにする。歌は響き続ける。今日も、新たに生きる。

○補足説明

 拝読(音読)箇所は、出口王仁三郎著 霊界物語 第七十七巻 天祥地瑞 辰の巻 第一篇 万里の海原 第六章「田族島着陸」(一九三八)

 「起立比古の神」「朝香比女の神」と言われても、宗教学や日本神話、上代文学の研究者でもまず知る人はいないだろう。それもそのはず。様々な日本神話の神さまが登場する霊界物語でも、この天祥地瑞は特別で「我古事記に現れたる天之御中主神(筆者注、古事記の最初の神さまであり、大本の最高神でもある)以前の天界」の物語なのだ。

 私の音読での霊界物語通読挑戦は3度目だ。前2回についてはこの天祥地瑞の途中で挫折した。当時の自分には、わけがわからなすぎて辛すぎた。

 今回3度目では、実にありがたく気持ちよく拝読できるようになった。分からない事が辛いとか、分からないならムダだとかいう自分自身の考えが大きく変わったようだ。

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