努力しても、成果がでないこともある。明らかに悪を働いている方がいい思いをして、善の方が報われないようにみえることもある。祈っても、状況が好転しないこともあるかもしれない。
その時に、何をするのか?
目的に対しての実現手段といった現界的・処世的な工夫はアレコレ考えられる。例えば、できそうなことの中で重要なものから優先順位を決めて行っていくなどは、合理的だ。何をするかだけでなく「何をしないか」を決めることも良いかもしれない。
精神的には、周りから何を言われようと信念を貫き通すというのが、古今東西の伝記の一つの典型例だろう。
これらは、現界的な視点だ。
宗教的、霊性的には、どうだろうか?
現界的な善悪を超えるならば、分別をやめるのなら、真に生きるのなら、現界的な事の正否などは本質的な問題にはならない。ただ、時々に良いと感じたことをするだろう。
現界的な行動としては、祈るも良し、処世的な工夫をするもよし、信念を貫き通すも、はたまたやめるもよし、だ。
ここまでを真に了解したうえで、しかも祈るだろう。
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