聖地参拝の体験的注意点

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 少し期間が開いてしまった。この間、何かの流れのままに、両聖地(亀岡・綾部)参拝をさせていただいた。大本讃美歌第八十九~ほんとうのことへの讃美歌~で「大本の大道場修行では、実際に鎮魂の体験ができる。これは、万人にお勧めできるものだ。普段の生活から離れて、大本の聖地で一定期間を過ごす体験は「あなたにとって」他では得難い…文字通り「有難い」体験になるはずだ。「大本」とは、そういう場所なのだ。その時には分からずとも、後になって分かってくることも多い」と書いた。まさに「私にとって」本当に有難い体験の連続だった。一瞬一秒とてムダがなかったように感じられる。具体的な体験そのものはともかく、そこで得た本質的なものは、いずれブログに反映されていくだろう。

 ところで、このブログを読んで聖地に参拝したくなったという嬉しい声も出てきた。そこで、参考として、体験的な注意点を共有しておきたい。

 大本の聖地にまできたのなら、表面的なものではなく本質的なものを求めてきたのだろう。それならば、まずは自身が本質的であることが重要だ。つまり単に肉体的な「吾」としてではなく、「我」として在ることだ。頭で考えるよりも、腹で感じることでもある。そうであるなら、必ずや本質…神さまの熱と光が、さらに強く感じられるはずだ。あとは、惟神。必ずや、有難い体験をいただけるだろう。 
 
 一方、体的には、好ましく思えない事も、不快な人間もいるかもしれない。大道場修行の講座も物足りなく感じるかもしれない。こうしたこと一々に体的に…つまり肉体的な吾としての表面的な思考や常識でもって快/不快を云々するのに終始するのでは、本質を感じることは難しいかもしれない。肉体的・思考的な判断は判断として、日記にでもつけたらあとは流しておいた方が良いだろう。
 また、自身が本質的・霊的であるときには、体的に感じるそうした事柄も、自然本質的に受け取ることができるようになるだろう。

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