大本讃美歌(第八十九)
一、厳御魂 瑞の御魂のあらはれし 聖地ぞ千代の住居なりけり
二、ただ神に すがりて誠つくすより わが身を救う力だになし
三、とこしへの 生命も愛もわが神の 抱かせたまふ力なりけり
四、身も魂も 命の主にささげつつ したふ心は生命なりけり
五、大神業 つかへまつらむ身魂ぞと 守らせたまへ瑞の大神
今夜の讃美歌は、最近感じていたことを、見事に表してくれているようだった。
要するに、我々が真神に生かされているというあたりまえのことを、考えるのでも信じるのでもなく、真に体感することができたなら、何らの解説も要らない。ただ、そのままのほんとうのことへの讃美歌なのだ。
そうなると、文字通り「腹の底(臍下丹田、下田)」から躍動する喜びとでもいうべきものがこみあげてくる。そして、感謝のあまり歌いたくなる。文字通り讃美歌である。
では、どうしたらそういう状態になるのか。自身の体験を振り返ってみても、結局は祈り・鎮魂・拝読のいわば信仰の三種の神器に依る…という、これまた当たり前のことしか言えない。
特に、鎮魂は鍵になると感じているが、ここでいくら書いても伝えることはできない。自らが実修する他ない。言葉で一般に説明したものとしては聖師の著作の他には『信仰叢話』の「三田開発」等に詳しい。
「下田、丹田、あるいは福田の気というものは、人間のいちばん力になるものである」
『信仰叢話』
「要するにこの三つの田に意識して、しじゅう気をつけてこれを耕すということは、人生向上の上においてもっとも肝腎なことだと存じます」
大本の大道場修行では、実際に鎮魂の体験ができる。これは、万人にお勧めできるものだ。普段の生活から離れて、大本の聖地で一定期間を過ごす体験は「あなたにとって」他では得難い…文字通り「有難い」体験になるはずだ。「大本」とは、そういう場所なのだ。その時には分からずとも、後になって分かってくることも多い。
私も、鎮魂をしていたところに四代教主が「八雲琴」をもって静かに部屋に入ってこられて、シンプルかつ完璧な音色で鳴らしていただいたことがある。
その音色は、今、より深く響き続けている。
コメント