(天祥地瑞)歓声満天

 世界には、理解できずとも尊く大切なものがある。
頭で疑問や反発すら感じていても、現に感動したのであれば、それこそを。
「山も野も皆おしなべて蘇り 命の露を照らして果てなし」

 ところで、この前後には聖師の「言霊ことたま」に関する余白歌が多くあった。
ここで、言霊の大切さが示されている。
「学ばずも宇宙の真理はことごとく われはさとれり真言まことの力に」
「言霊の神々達の活動はたらきを つぶさにさとす言霊の道よ」
「言霊は総てのものの初めなり 天地万有これより生まるる」
「深遠なる真理は到底今の世の 言霊知らぬ人にはわからず」
「大宇宙森羅万象ことごとく 言霊の水火いきの幸より生まるる」

              〇

 時々微妙な音楽が聴こえてくる。小林秀雄の「モーツァルトのト短調」どころではない。聴いたことも無いような微妙な音楽が、聴覚に依らずに聴こえてくるのだ。この世の時間軸で再現するなら、例えば15分はかかるような繊細かつ壮大なそれが、瞬間的に鳴ってしまうようなこともある。また、夢の中で鳴り続けているものを起きてすぐにメモを取ることも一度や二度ではない。ここ数年で記録できているだけで、数百に及ぶ。この世界では、本当は常に間断なく音楽が鳴り続けているのだ。それも、時々刻々と、無限に変化を続ける音楽が。
 一時期、聴こえた者として、それを体現しないことがもったいないように思われて仕方がなかった。それで、尊敬するプロの音楽家何人かに相談をした。彼らは、事態をすぐに受け入れ、様々なアドバイスをくれた。多かれ少なかれ、体験があるからだ。そして、一様に、それが聴こえているうちに形にすべきだという。聴こえないようになってしまわないうちに、と。彼らは、彼らが音楽を作っているわけではないことを、よく分かっている。ある意味では、音楽が彼らを体現に使っているのだ。
 
 …こんなことを書きかけの中、ふと王仁師は何か言っていないかな?と少し探した。やはり、まさにと思うものがあった。
 「此大宇宙には、アオウエイの五大父音が鳴りなりて鳴りやまず不断に轟いてゐる。そして此父音より発する七十五声の音響は種々様々に相交錯して、音楽の如く、鳥の声の如く、秋野にすだく虫の音の如く微妙の音声を絶えず放つてゐる(後略)」(『玉鏡』)から始まるところだ。実に興味深く、そして、哀しいものだった。

 理解できずとも、尊く、大切なものはある。
 

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