肉体は表面的・物質的であり、霊は本質的・非物質的である。従って、肉体としての吾を滅する時、真の霊的な自己(我)が現れる。
なるほど本質においては、その通りだろう。もっと言うと、表面からいうなら我は再び吾として現れるともいえる。「吾を滅する時に現れる我は、吾として現れる」。
ここ(吾と我の別)を日常生活において意識し続けていくならば、確実に明確に分かるようになるはずだ。ささいな欲求一つをとってみても「どちらからのものか」を意識的に覚ることができる。
今、この瞬間、どちらの欲求を選択するかのところに善悪の分水嶺がある。この善悪を「選択できる」今、この瞬間、最も本質的な「自由」がある。
吾と我を意識することができるその者は、つまり、善悪の分かれる以前、善悪の彼岸にいる。
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